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自我が揺らぐとき-脳はいかにして自己を創りだすのか-

トッド・E.ファインバーグ 吉田利子訳 

岩波書店

 

 本書の中で取り上げられている患者は、脳に障害を負って自我が変容した人々である。

脳に起こった変化が自己の境界や、自己と世界、他者との関係、自分自身との関係を変えてしまった患者などが登場する。脳の損傷を負った結果として自我が変容した患者は、自分にとって最も重要で身近な部分が変わってしまう。本書に登場する患者は身体失認、半側空間無視、病態失認、カプグラ症候群、統合失調症など様々な障害をもち、患者自身が発言する言語により患者の独特の世界を感じることができる。患者がどのように自分自身の身体を感じ、感じたことを一人称の表現で語り、様々な疾患の患者の世界がどのようであるかを知ることが出来る。

 神経内科医で心理分析家のエドウィン・ワインシュタインは身体失認の患者が自分自身の腕を表現する言葉は自分自身に対する感情の暗喩と解釈できる、と述べている。ワインシュタインの患者は、麻痺した腕を「黄色く縮んだカ

ナリアの爪」と言い、別の患者は「錆びた機械の一部」「枯れた木」と言った。患者が麻痺した腕を自分のものと認めず、麻痺した腕を「かわいそうなしなびた手」「鳥の爪」「石炭袋のようだ」「カラスの脚のように見えるし、感じる」「ただの骨と皮」「役に立たない道具」「死んでいる」など様々な表現で自身の身体を語る。ワインシュタインは、患者の暗喩的な表現は、混乱に陥ることの多い神経学的疾病という環境に秩序と一体感と予測性をもたらす助けになるのではないか、と述べている。著者は、脳が損傷を受けている場合、患者にとってはありきたりの表現よりも暗喩的な言語のほうが「現実的」で、悲劇的な病に立ち向かう力を与えてくれるのかもしれない。神経学的疾病がもたらす命にかかわる混沌とした環境に陥ったときには、日常的な言葉よりも暗喩のほうが、患者の自分と障害に対する感じ方を的確に表すのだろう。という。

 患者の世界を知る上で内部観察は重要であり、様々なヒントが患者の発言の中にあることは、臨床家であれば感じていると思う。リハビリテーションを行っている中で、壁にぶつかり分からなくなったときは、患者に聴き、病態をさらに詳細に解釈する。その繰り返しであり、患者の発言を軽視していては、的確な治療には繋がらない。また、患者の身体について問いをかけ聴かなければ、患者自身も自分の身体に気づかない。セラピスト自身の治療にはもちろんであるが、患者が自分自身の身体について知る機会が患者に聴くという行為である。

本書には、多くの患者が沢山の自分自身の世界を語っている。これまで経験した患者の世界とは違う世界を知ることができた。

(文責 介護老人保健施設かにえ 尾﨑正典)

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