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著者  鈴木大介

出版社 新潮新書

文責  尾﨑正典 (尾張温泉かにえ病院)

 

本書は「壊れた脳 生存する知」の山田規畝子さん、「奇跡の脳」のジル・ボルトテーラーさんなど医師や脳の研究者といった医学的知識を持った患者が書いた著書ではなく、取材、執筆のプロである取材記者が書いた書籍です。41歳で脳梗塞を発症した著者が、取材のプロである自身が、何ができなくてどのように苦しいのかを自ら、自分自身を取材して書かれています。かつて取材した発達障害を抱えるが故に社会や集団から離脱・排斥された人々や精神障害と貧困のただなかに立ちすくみ混乱する人々を取材した様々な経験から自身を語っています。

著者は「病識があり軽度な高次脳機能障害がある僕が、自分の負った障害の不自由感や辛さや当事者感覚をできる限り言語化してみようと思います。」と述べています。

41歳で右側頭葉のアテトーム血栓脳梗塞を発症し身体への後遺症は軽かったものの、高次脳機能が残っており、半側空間無視の世界を次のように表現しています。左方面が見れない、見えないではなく、見「れ」ない.会話をしている相手が真正面にいても、どうしても僕は相手の顔を正面から見て話すことができない。右方向に首ごと顔を逸らせて、視線もなぜか右上方を凝視してしまう。首が回らないわけでは決してなく、どちらかと言うと「左方向を見てはならない」という強い心理的忌避感、障壁がある状態なのだ。「視界の左側に猫の死体が転がっている」もしくは同じく左前方に、親しい友人の女性や、僕の尊敬する大好きな義母が「全裸で座っている」感覚。左半分の世界はないことにしたいんです僕は。と著者の生きている半側空間無視の世界を私たちに伝えてくれています。

患者が最も不安で、期待をする回復に関しては、医師の説明によれば、こうした後遺症の回復とは、発症直後に大きな快復率を見せ、そこから徐々に回復は緩やかになり、六ヶ月ほどで回復はほぼ停止。残った障害は「固定」されると言われているらしい。が、これもまた当事者の感覚としては少し違う。発症直後に大きく回復を見せるのは当然だが、そこからの回復は「段階状」で、しばらく回復が止まっているなぁと思っていたら、ある日突然やれなかったことがやれるようになっていることに気付く。その頻度は徐々に低くなってはいくが、病後半年以上経ってからも非常に穏やかに回復は続く。階段状に感じるのは、気付かないほどに緩やかな回復が水面下で続いていて、それを認識したときに一気に回復したように感じるからだろう。中には変化が微細すぎて、回復したことで不自由になっていたことを後から気付くような障害もある。

高次脳機能障害は、本人にとっても周囲にとっても、「できなくなっている」ことそのものに気づきづらく、その理由が分かりづらく、それだけに何が有効なリハビリになる負荷なのかも、また分かりづらいのだ。と述べています。

セラピストの皆さんの中に、患者である著者が感じている回復に関して、同じように感じている方は多いと思います。

著者は、取材記者という職業であり、自分自身が生きている世界を言語化し、同じように障害を持っている方々や家族の思いを世の中に伝えようという意志のもと書いています。

皆さんが関わっている患者さんや施設利用者の方、訪問リハ先の方々の声にならない部分を伝えている書籍であると感じました。

取材記者であり患者である言語のプロが述べている内観の世界は、私たちに新しい視点を持たせてくれます。

脳が壊れた

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